【鬼滅の刃の元ネタか?】山の人生 6~9 柳田国男 – 字幕付きオーディオブック AI文庫


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■一部抜粋
六 山の神に嫁入すということ

 羽後の田代岳に駆け込んだという北秋田の村の娘は、その前から口癖のように、山の神様の処へお嫁入りするのだと、いっていたそうである。古来多くの新米の山姥、すなわちこれから自分の述べたいと思う山中の狂女の中には、何か今なお不明なる原因から、こういう錯覚を起こして、欣然として自ら進んで、こんな生活に入った者が多かったらしいのである。
 そうすると我々が三輪式神話の残影と見ている竜婚・蛇婚の国々の話の中にも、存外に起原の近世なるものがないとは言われぬ。例えば上州の榛名湖においては、美しい奥方は強いて供の者を帰して、しずしずと水の底に入って往ったと伝え、美濃の夜叉ヶ池の夜叉御前は、父母の泣いて留めるのも聴かず、あたら十六の花嫁姿で、独り深山の水の神にとついだといっている。古い昔の信仰の影響か、または神話が本来かくのごとくにして、発生すべきものであったのか、とにかくにわが民族のこれが一つの不思議なる癖であった。
 近ごろ世に出た『まぼろしの島より』という一英人の書翰集に、南太平洋のニウヘブライズ島の或る農場において、一夜群衆のわめき声とともに、頻に鉄砲の音がするので、驚いて飛び出して見ると、若い一人の土人が魔神に攫まれて、森の中へ牽いて行かれるところであった。魔神の姿はもとより何ぴとにも見えないが、その青年が右の手を前へ出して踏止まろうと身をもがく形は、確かに捕われた者の様子であった。他の土人たちは声で嚇し、かつ鉄砲をその前後の空間に打ち掛けて、悪魔を追い攘おうとしたがついに効を奏せず、捕われた者は茂みに隠れてしまった。
 翌朝その青年は正気に復して、戻って常のごとく働こうとしたけれども、仲間の者は彼が魔神と何か契約をしてきたものと疑い、畏れ憎んで近づかず、その晩のうちに毒殺してしまったと記している。わが邦で狐や狸に憑かれたという者が、その獣らしい挙動をして、傍の者を信ぜしめるのと、最もよく似た精神病の兆候である。

 猿の婿入という昔話がある。どこの田舎に行ってもあまり有名であるために、かえって子供までが顧みようとせぬようになったが、じつは日本にばかり特別によく成育した話で、しかも最初いかなる事情から、こんな珍しい話の種が芽をくむに至ったかは、説明しえた人がないのである。三人ある娘の三番目がことに発明で、一旦は猿に連れられて山中に入って行くが、のちに才智をもって相手を自滅させ、安全に親の家に戻ってくることになっているのは、もとは明らかに魔界征服譚の一つであった。今でも落語家の持っている王子の狐、或いは天狗の羽団扇を欺き奪う話などと同様に、だんだんに敵の愚かさが誇張せられて、聴く人の高笑いを催さずには置かなかったのは、武勇勝利の物語に、負けて遁げた者の弱腰を説くのと、目的は一つであって、つまりは猿の婿も怖るるに足らずという教育の、かつて必要であったことを意味している。餅を搗いて臼ながら猿に負わせたり、臼を卸さずに藤の花を折らせたり、いろいろと無理な策略をもって相手を危地に陥れた話であるが、地方によっては瓢箪と針千本とを、親から貰い受けて出て行ったことになっているのは、すなわち蛇神退治の古くからの様式で、猿の方にはむしろ不用なことであった。変化か混同かいずれにしても、竜蛇の婿入の数多い諸国の例がこれと系統の近かったことだけは察せられるので、ただ山城蟹旛寺の縁起などにおいては、外部の救援が必要であったに反して、こちらはかよわい小娘の智謀一つで、よく自ら葛藤を脱しえた点を、異なれりとするのみである。
 大和の三輪の緒環の糸、それから遠く運ばれたらしい豊後の大神氏の花の本の少女の話は、土地とわずかな固有名詞とをかえて、今でも全国の隅々まで行われているが終始一貫した発見の糸口は、衣裳の端に刺した一本の針であった。ところが後世になるにつれて、勝利は次第に人間の方に帰し蛇の婿は刺された針の鉄気に制せられ、苦しんで死んだことになっている例が多い。糸筋を手繰って窃かに洞穴の口に近づいて立聴きすると。親子らしい大蛇がひそひそと話をしている。だから留めるのに人間などに思いを掛けるから命を失うことになったのだと一方がいうと、それでも種だけは残してきたから本望だと死なんとする者が答える。いや人間は賢いものだ、もし蓬と菖蒲の二種の草を煎じてそれで行水を使ったらどうすると、大切な秘密を洩してしまったことにもなっている。たった一つの小さな昔話でも、だんだんに源を尋ねて行くと信仰の変化が窺われる。もとは単純に指令に服従して、怖しい神の妻たることに甘じたものが、のちにはこれを避けまたは遁れようとしたことが明らかに見えるのである。しかも或いは婚姻慣習の沿革と伴うものかも知らぬが、猿の婿入の話には後代の蛇婿入譚とともに、娘の父親の約諾ということが、一つの要件をなしている。そうでなくとも堂々と押しかけてきて一門を承知させたことになっていて、大昔の神々のごとく夜陰密かに通ってきて後に露顕したものではなかった。そうして天下晴れて連れて還ったことに話はできている。すなわち山と人界との縁組は稀有というのみで、想像しえられぬほどの事件ではなかったが、おいおいにこれを忌み憎むの念が普通の社会には強くなり、百方手段を講じてその弊害を防ぎつつ、なお十分なる効果を挙げえないうちに、国は次第に近世の黎明になったのである。
 狒々という大猿が日本にも住むということはもう信ずることがむつかしくなった。出逢った見たという話は記事にも画にも残っているものが多いが、注意してみると、まるまる幻覚の産物でなければ、必ずただの老猿を誤ってそう呼んだまでである。従って岩見重太郎、もしくは『今昔物語』のちゅうさんこうやのごとき例は、すこしでも動物学の知識を損益するところはないわけである。しかも昔話にまでなって、このように弘く伝わっているのを見ると、猿の婿入は恐らくある遠い時代の現実の畏怖であった。少なくとも女性失踪の不思議に対する、世間普通の解釈であった。どうしてそんな愚かしい事が、信じえられたかと思うようであるが、他に真相の説明がつかなかった時代だから仕方がない。一種の精神病というがごとき漠然たる理由では、今日でもまだ承知する者は少ないのである。正月と霜月との月初めの或る日を、山の神の樹かぞえなどと称して、戒めて山に入らぬ風習は現に行われている。もしこの禁を犯せばいかなる制裁があるかと問えば、算え込まれて樹になってしまうというもあれば、山の神に連れて行かれるなどともいっているところがある。その山の神様はもとより神官の説くがごとき、大山祇命ではなかったのである。狼を山神の姿と見た言い伝えも多いが、猿はその一段の人間らしさから、かつては信仰の対象となっていた証拠もいろいろある。中世なんらか特別の理由があって、その地位は動揺したものらしい。その歴史を今少し考えて見ない以上、多くの昔話の意味がはっきりとせぬのも、やむをえざる次第である。

七 町にも不思議なる迷子ありしこと

 北国筋の或る大都会などは、ことに迷子というものが多かった。二十年ほど前までは、冬になると一晩としていわゆる鉦太鼓の音を聞かぬ晩はないくらいであったという。山が近くて天狗の多い土地だから、と説明せられていたようである。
 東京でも以前はよく子供がいなくなった。この場合には町内の衆が、各一個の提灯を携えて集まり来たり、夜どおし大声で喚んで歩くのが、義理でもありまた慣例でもあった。関東では一般に、まい子のまい子の何松やいと繰り返すのが普通であったが、上方辺では「かやせ、もどせ」と、ややゆるりとした悲しい声で唱えてあるいた。子供にもせよ紛失したものを尋ねるのに、鉦太鼓でさがすというはじつは変なことだが、それは本来捜索ではなくして、奪還であったから仕方がない。
 もし迷子がただの迷子であるならば、こんな事をしても無益なかわりに、たいていはその日その夜のうちに消息が判明する。二日も三日も捜しあるいて、いかにしても見つからぬというのが神隠しで、これに対しては右のごとき別種の手段が、始めて必要であったのだが、前代の人たちは久しい間の経験によって、子供がいなくなれば最初からこれを神隠しと推定して、それに相応する処置を執ったものである。
 神隠しをする神はいかなる悪い神であったか。近世人の思想においては、必ずしもごく精確に知られてはなかった。通例は天狗・狗賓というのが最も有力なる嫌疑者であったが、それはこのように無造作なる示威運動に脅かされて、取った児をまた返すような気の弱い魔物ともじつは考えられていなかった。
 狐もまた往々にして子供を取って隠す者と、考えられている地方があった。そういう地方では狐のわざと想像しつつも、やはり盛んに鉦太鼓を叩いたのであるが、今では単に狐はしばらくの間、人を騙し迷わすだけとして、これを神隠しの中にはもう算えない田舎がだんだんに多くなって行くかと思う。近年の狐の悪戯はたいていは高が知れていた。誰かが行き合わせて大声を出し、または背中を一つ打ったら正気がついたという風で、若い衆やよい年輩の親爺までが、夜どおし近所の人々に心配をかけ、朝になって見ると土手の陰や粟畠のまん中に、きょとんとして立っていたなどということも、またすでに昔話の部類に編入せられようとしているのである。
 しかし寂しい在所の村はずれ、川端、森や古塚の近くなどには、今でも「良くない処だ」というところがおりおりあって、その中には悪い狐がいるという噂をするものも少なくはない。神隠しの被害は普通に人一代の記憶のうちに、三回か五回かは必ず聴くところで、前後の状況は常にほぼ一様であった。従って捜索隊の手配路順にも、ほぼ旧来のきまりがあり、事件の顛末も人の名だけが、時々新しくなるばかりで、各地各場合において、大した変化を見なかったようである。
 しかも経験の乏しい少年少女に取っては、これほど気味の悪い話はなかった。私たちの村の小学校では、冬は子供が集まると、いつもこんな話ばかりをしていた。それでいて奇妙なことには、実際は狐につままれた者に、子供は至って少なく、子供の迷子は多くは神隠しの方であった。

 子供のいなくなる不思議には、おおよそ定まった季節があった。自分たちの幽かな記憶では秋の末から冬のかかりにも、この話があったように思うが、或いは誤っているかも知れぬ。多くの地方では旧暦四月、蚕の上簇や麦苅入れの支度に、農夫が気を取られている時分が、一番あぶないように考えられていた。これを簡明に高麦のころと名づけているところもある。つまりは麦が成長して容易に小児の姿を隠し、また山の獣などの畦づたいに、里に近よるものも実際に多かったのである。高麦のころに隠れん坊をすると、狸に騙されると豊後の奥ではいうそうだ。全くこの遊戯は不安心な遊戯で、大きな建物などの中ですらも、稀にはジェネヴィエバのごとき悲惨事があった。まして郊野の間には物陰が多過ぎた。それがまたこの戯れの永く行われた面白味であったろうが、幼い人たちが模倣を始めたより更に以前を想像してみると、忍術などと起原の共通なる一種の信仰が潜んでいて、のち次第に面白い村の祭の式作法になったものかと思う。

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